chocopumpkintanの日記

日常でのしょーもない思い

商店街の映画館、古本屋などいってきたよ

今日は最後の講義が休講になったので、商店街の南方にある映画館に行ってきました。

この映画館は二度目になる。初めて来たときは、『グッバイ・ゴダール』を観た。「学生がこんなところに来るなんて珍しいねー。」と、常連っぽいおっちゃんに言われたことを覚えている。

ぼくが地下に降りて観た映画は、『あなたの名前を呼べたなら』。インドの都会ムンバイ、住み込みメイドとして働くラトナとお金持ちのアシュビィン。お金持ちだけど悩み多きアシュビィンと未亡人のラトナとの関係が繊細に描かれている。

映画を見終わった後は、インドつながりでカレーが食べたくなり、近くのカレー屋さんに行った。ここのカレーが安くてうまいんですよ。ご飯多めのチキンカツカレーを食べながら、映画の余韻に浸る。

お腹いっぱいになっても、まだまだやり切れていない気がして、近くのゲーセンに行った。意味もないのにゲーセンに入ってしまう癖がある。高校時代にゲーセン通いしていたのが原因だと思う。とりあえず店内一周してから、太鼓の達人。現役時代のようにうまくいかなくて少し落ち込む。「帰ろ。」

自転車置き場に向かうが、近くに古本屋があったのを思い出したので、未消化の本があるにもかかわらず久しぶりに寄ってみた。

とりあえず外の100円棚を物色。中学の頃よく読んでいた星新一の本、他にも気になっていた本があったので、それらを抱えて店内へ。百円棚から本を手にすると店内に入りやすい度は一気に上がる。これは古本屋さんの配慮?すばらしいな。店内の本棚からぼくの目を引き付けたのは、『ラウンダバウト』(渡辺ペコ)というマンガでした。全三巻購入し、さっそく家で読んでみる(実際はネトフリでHK2観たあと)。思い付きで購入したにしては、すごく良いマンガでした。「ナイスチョイス!」ほとんど中学生をかいたマンガだったのですが、多感な時代の話はいつ読んでもなんだか学べるなあと思った。

月曜日は、家に帰ってすぐゲーム、YouTubeを開くのがいつものことで、何をしたかはほとんど覚えてない。今日は、ちょっと入りにくい映画館に行ってみることで、記憶に残るだろうなって一日になったと思います。

地面ふわふわ現象

疲れました。非常に疲れました。風邪を引いていました。でも無理しすぎました。少し寝たいと思います。

でも結局こういうときって寝れないですよね。YouTubeとかみたり、ゲームしたり、ネトフリったり、読書したり。寝てたほうがいいのに、だらだら過ごしてしまいます。シンクに食器がたまっていくけど、見るのさえ億劫になって手をつけれないって感覚と似てますよね。んで異臭を放っていくけど、臭いから手をつけるのがめんどくさい。さらに食器がたまっていく。。。

 

ところで、、共感できるかな。

疲れていたり、人ごみのなかにいるとき、足下がふわふわしたり、床が傾いてみえるような現象ありません?

小学校の全校集会のときに、その現象が起きて泣いた記憶。先生に話しても、わかってもらえなかった記憶。今でもその現象が起きたらプチパニック。

でもこれを人に話してもわからないんですよ。

理不尽な世の中。ぼくはこの現象が起きたとき、そう思ってしまうのです。

コタツであたためてきた思い

ぼくの人生、真冬のコタツ人間

 

ぼくは、鳥取出身。鳥取は、豪雪地帯。

そんな土地での、冬の記憶は、歳が若いほど、新鮮で楽しいものでした。

幼い頃は雪が降ったら、すぐさま外に出て、雪が降りつもるのを、下からじっと眺めていました。雪は結晶がみえるほどに、ゆっくり、ゆっくり、降っていきます。ある程度つもったら、友達や従兄弟をひきつれて、かまくら作りや雪だるま作り、雪がっせんなどをして遊びました。家に帰ると反射光で目が疲れて、ものが見えなくなるほどでした。

歳を重ねるにつれて、コタツでだらだら、だらだら…。動くのは、手と目だけ。手はゲーム操作。目はゲーム画面とテレビ画面。なぜか不思議なことに、そのころの記憶はあまりありません。

 

「このままじゃ、ぼくの人生、真冬のコタツ人間のまま終わっちゃう!」

そんな危機感をコタツの中で、じわじわ感じていた。

 

 

最近は、少しずつ、いろいろなことに、チャレンジしているつもりです。たぶん、、。

何をしたいのか、何をすべきなのか、それを考えるために大学生になったんだと思います。

 

ツンデレだけど応援してくれているおばあちゃん、ありがとう。

タツから腰を浮かせながら、玄関口に立ってみようと、思っているところです。